学生寮長善館
公益財団法人諏訪郷友会
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歴史
 学生寮長善館の名称は、旧諏訪高島藩の藩校「長善館」を継承したもので、その創設は、遠く享和3年(1803)にさかのぼる。明和・安永・天明と延々20年にわたって藩内で吹き荒れ、後に「二之丸事件」と呼ばれる騒動が一件落着して後の享和3年、時の第5代藩主諏訪忠林公(ただとき)と学問的に親交のあった天竜道人の進言で、お家断絶となった二之丸諏訪家の屋敷跡(現在の高島城址公園東口の門を出た正面)に藩校稽古所が設立された。
 「長善館」の名称は、この藩校稽古所に命名されたものである。  名付け親は天竜道人で、館名の「長善」は、礼記の学記第十八にある「教フル者ハ、善ヲ長ジテ其ノ失ヲ救フ者也」の文言からとったもので、「教育の目指すところは、善なる点を長ぜしめ、その過失を改めさせることにある」と説かれている。
 藩校長善館は明治維新の廃藩置県で廃校になったが、その伝統は明治24年(1891)、当時東京本郷元町にあった旧高島藩控屋敷250坪の土地に、新時代の学生寮長善館として復活した。その原動力となったのは、青雲の志に燃えて上京した諏訪地方出身者たちの熱意と、旧藩主諏訪子爵家のご好意だった。土地と付属の土蔵一棟は諏訪家から無償貸与、館名には旧藩校の「長善館」を戴き、館内には松平定信公の揮毫になる「長善館」の扁額が掲げられた。この扁額は文政10年(1827)8月、寛政の改革で知られる白河楽翁松平定信公より、孫の忠誠(ただまさ)7歳の誕生を祝って時の第8代藩主忠恕(ただみち)に贈られたものである。
 松平定信公筆の「長善館」の扁額は、本郷から巣鴨へと受け継がれたが、昭和20年(1945)4月の巣鴨地方一帯の空襲で残念ながら焼失した。しかしその後、巣鴨から仙川に移った長善館で、扁額の拓本を保存していた長善館出身者からの申し出があり、平成4年(1992)、長善館創立百周年記念事業の一環として、その復元制作が行われ同年10月、復刻なった扁額「長善館」は館内ホール正面に設置・掲揚された。
 以来学生寮長善館は、時代の推移と共に、本郷元町から巣鴨宮下、調布市仙川へと、その所在地の変転はあったが、常に諏訪地方出身の在京学徒たちの寄宿舎、心のよりどころとして、明治・大正・昭和・平成と、延々一世紀を超える長きにわたって、その伝統を大切に受け継ぎ、幾多の俊秀を世に送り出してきた。
 現在学生寮長善館は、諏訪地方出身の多くの人々の努力により設立された公益財団法人諏訪郷友会の育英事業の一環として維持・運営されている。開設以来受け継いできた資産とともに、向学心に燃えて上京する後輩達のために有志・篤志家・長善館の同窓生、さらには企業や一般の人々までもが加わった諏訪郷友会会員の尊い寄付や地方自治体の後援と関係者の無償の努力が運営の基盤となっている。
 長善館が現在の地、調布市若葉町に移転してからも数々にわたる修繕、改築、増築が行われてきた。しかし現在の長善館は全く新しい構想のもとに新時代にふさわしく全室個室の自治寮・IT導入などを目標に設計され、平成15年3月に完成した。
(新長善館物語より)
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